健康保険組合が職権で子供を扶養から外したら訴えられた事例
別居に伴って、相手方の健康保険組合の扶養に入っている子供をこちらの扶養にしたいというご相談を受けることがあります。
相手の扶養に入っていれば、健康保険料を相手方が負担することになるので、子供の健康保険は相手方の扶養に入れておいた方がお金の面ではお得なことも多いのですが、心情的に嫌だという方も多いようです。
心情的に嫌だというのは、現在扶養に入れている方にもあるようで、たとえ子供と離れていても、扶養だけは自分の方に入れておきたいということで、子供の扶養を外すことを嫌がる方もいます。
健康保険の扶養の移動には、現在加入している健康保険組合発行の資格喪失証明書を新たに加入する健康保険組合に提出する必要があるため、相手方が対応してくれない場合には、直接、相手方の健康保険組合に連絡するなどして対応し、現在のところ最終的に扶養の移動はできています。
今回は、父親が、子供の扶養を外すのを拒否したため、健康保険組合が職権で子供を扶養から外したところ、父親が健康保険組合を訴えたというケースをご紹介します。
なお、本件は、法律上様々な主張がされており、かなりテクニカルな問題であるため、私が重要と考える部分だけ要約します。
1 事案の概要
妻が子供を連れて別居し、夫の健康保険の扶養に入っていた子供を自分の扶養に移動したいと夫に伝えたところ、夫が手続きをしてくれなかったので、夫の会社の健康保険組合に連絡しました。
妻は、健康保険組合に子供を夫の扶養から外してほしいという書面を提出し、あわせてDVがあること、婚姻費用が調停で決まったことなどの書面を提出したところ、健康保険組合が、夫に対し、子供を扶養している実態がないと判断したので扶養を外す手続きをするように求め、手続きをしない場合には職権で扶養を外すこと、事実に反することがあるならその証拠を期限までに提出するように伝えました。
夫は、納得ができず、健康保険組合の理事長宛に妻が提出した書面の開示を求める等請求し、理事長が拒否し、などとやっている間に当初通知していた手続き関係の締め切りが来たので、健康保険組合が職権で子供を夫の扶養から外しました。
夫は、この健康保険組合が職権で子供の扶養を外したのが違法だとして、健康保険組合を被告として、東京地裁に損害賠償請求訴訟を提起しました。
2 判決の概要
上記について、東京地裁令和4年12月1日判決は、要旨、次の通り判示しました。
争点1:被保険者(夫)の届出がないのに職権で資格喪失させることができるか?
裁判所の判断:被保険者の資格及び喪失は保険者(健康保険組合)等の確認によってその効力を生ずるとされている(健康保険法39条1項、35条)。
そしてこの確認は、事業主の届出や被保険者等の請求による他、職権で行うものとされている(健康保険法39条2項、48条、51条1項)。
被扶養者(子供)も被保険者(夫)に付随するものだから、同様と考えられる。
健康保険法施行規則38条1項は、被保険者からの届出によって扶養を外す処分をすることを想定している。
しかし、この規定は、扶養に入れる資格を失ったかどうか、被保険者自身が自分のことなので最もよく知る立場にあるからにすぎず、届出がない限り健康保険組合が保険給付をしなければならないとするのは不合理であり、法令上もそのような事態は想定されていないと解される。
このことからすると、被保険者からの届出の有無にかかわらず、健康保険組合は、法令上の要件に合致するか否かを職権で判断して、被扶養者の地位の得喪(子供が現在も父親に扶養されているといえるか)についての処分を行うことが出来る。
争点2:令和3年第1号通知が、DVがある場合には、被害者からの申出があれば、職権で資格喪失させることが出来るとしていることから、それ以外の場合は、職権による資格喪失はできないのではないか?
裁判所の判断:令和3年第1号通知は、DV案件では、被保険者からの届出が期待できないことから、被害者からの申出で、被害者らを被扶養者から外すことをできる旨定めたものであるが、DV案件以外でも被保険者本人からの届出が期待できない場合はある。
そのような場合でも、ある者が被保険者の被扶養者としての法令上の要件を欠いているときは、保険者が職権で被扶養者から外す手続きを行うことは法令上当然に許容されるものというべきである。
争点3:子が法3条7項「主としてその被保険者により生計を維持するもの」にあたるか?
裁判所の判断:法3条7項「主としてその被保険者により生計を維持するもの」については、どのような場合が具体的にこれに該当するかについて法令に明確な規定はないが、被扶養者に該当するか否かについては、健康保険組合が届出により又は職権で判断する仕組みになっていることからすれば、被扶養者に該当するか否かの判断基準については、判断権者である健康保険組合が定めるべきであるから、本件認定基準自体が法令の定める要件に照らして不合理な内容である場合、本件認定基準により難い特段の事由がある場合又は健康保険組合が本件認定基準の定める内容とは異なる認定をした場合でない限り、健康保険組合の判断が違法となることはない。
争点4:昭和60年通知が、子は夫婦の年収が多い方の扶養に入れるとしていることに反しないか?
昭和60年通知は、夫婦が共同して子供を扶養している場合には、前年度の収入の多い方の被扶養者と認定することを原則とする旨定めている。
しかし、これは夫婦が同居しているなど夫婦自体が生計を同一としており、その中で子を扶養している場合を想定しているものであって夫婦が別居するなどして夫婦間の生計が同一ではなくなった場合にはそのまま適用されないことは明らかである。
なぜなら、夫婦自体が生計を同一としていなければ、その子も夫婦の一方又は双方と生計を同一としていないことは明らかであり、そのような場合には、主に子の生計を維持しているものが誰かについて、当該子の生計を維持している者が誰かについて、当該子との同居の有無や生活費の支出の負担割合などを比較して判定すべきであって、単純に両親の収入の高低だけを比較することは無意味であるからである。
3 コメント
上記裁判例も指摘しているとおり、本人が届出を拒否したら、健康保険組合は、ずっと本人や子供を組合員その扶養家族として扱って保険給付をしなければならないということはあり得ず、保険組合が組合員や扶養家族としての資格について判断する権限があるという結論は、極めて妥当な結論と考えます。
次に問題となるのは、父と母のどちらが子どもの主たる扶養者といえるかですが、子供の扶養はお金の多寡だけで決められないため、別居している場合には、原則として子どもと一緒に暮らしている方が主たる扶養者と判断されています。
もっとも、絶対にそうかというとそうではなく、父親が支払っている婚姻費用が、母親の収入をはるかに超えるほど高額な場合には、主たる扶養者は父と判断されることもあります。
このあたりはケースバイケースですが、よほどの事情がない限り、扶養に関して、実際に子供と一緒に暮らしている方と争っても勝てないと思っておいた方がいいでしょう。
なお、将来的な離婚や面会交流等への影響を考えると、このような本質的ではない部分で相手方と全面的に争うのが得策なのか、相手方への心理的影響、裁判官の心証も考慮して、よく考えた方がよいでしょう。
【関連コラム】
監修弁護士紹介
弁護士 本 田 幸 則(登録番号36255)
・2005年 旧司法試験合格
・2007年 弁護士登録
弁護士になってすぐのころは、所属事務所にて、一般的な民事事件はもちろん、行政訴訟や刑事事件、企業法務まで担当しました。
独立後は、身近な問題を取り扱いたいと思い、離婚や相続などに注力しています。
ご相談においては、長期的な視野から依頼者にとって何がベストなのかを考え、交渉から裁判まであらゆる手段を視野に入れてアドバイスいたします。
弁護士 鈴 木 淳(登録番号47284)
・2006年 早稲田大学法学部卒業
・2006年 法務省入省(国家Ⅰ種法律職)
・2011年 明治大学法科大学院修了
・2011年 新司法試験合格
・2012年 弁護士登録
一般民事事件や中小企業法務を中心として、交渉から裁判まで、様々な分野の案件を担当してきました。
この度、なごみ法律事務所の理念に共感し、市民の方の生活に密着した問題や、経営者の日常的に接する問題を重点的に扱いたいと考え、執務することとなりました。
ご依頼者と同じ目線に立ちながら、最善の解決策を共に考えてゆきたいと思います。